マンションやビルなどの建物の維持管理業務を受託して運営する会社。マンション管理法で国への届け出が義務づけられている。マンション管理業を中心にするデベロッパーの子会社や系列会社の場合と、ビル管理業や清掃請負業などが母体になった独立系の場合がある。なお、賃借人との折衝や家賃の出納などの賃貸経営に関する業務を家主から受託する賃貸不動産管理業を主に行っている場合は「賃貸管理会社」という。
外為以降、旧東欧地域でそれまで一党独裁の地位にあった社会主義政党が自由選挙を認め民主化の気運が高まると、ユーゴスラヴィアでもこれを認め1990年に戦後初の複数政党制による自由選挙が実施された。クロアチアではユーゴスラヴィアからの分離独立を掲げるスティエパン・メシッチが政権を掌握。以降ユーゴスラヴィア・セルビアとの関係は険悪化の一途をたどっていった。
1991年3月2日には、西スラヴォニアの帰属をめぐってユーゴスラヴィア連邦軍とクロアチア警察の間で睨み合う事態となり、3月31日にはプリトビツァで両者が衝突。死者を出す事態となった。クロアチアの独立を目指す準備は着々と進められており、6月19日には独立の可否を問う国民投票が実施され、78%の賛成。これを受けて6月25日、スロヴェニアと同日に独立を宣言した。
一方で、ユーゴスラヴィア連邦軍は、クロアチア領内でもセルビア人が多く、クロアチアの独立に反対していたクライナ・セルビア人自治区のセルビア人保護を目的にクロアチアに侵入。クロアチア軍は9月半ばにはユーゴスラヴィア軍との全面衝突となりクロアチア紛争の激化に繋がった。1995年に戦闘が終結するまでに大量の死者と難民を生み出した。
不動産の欧州連合(以下EUとする)加盟交渉の開始は、既にEUからの承認を得ており、2005年中に加盟交渉が開始されるスケジュールが組み立てられていた。EUへの加盟時期は未定であるが、2008年1月に新内閣を発足させたサナデル首相は2010年の加入を目指すとしている。クロアチアのEU加盟がなれば旧ユーゴスラヴィア構成国家での中ではスロヴェニアに続く2例目となる。
ただしクロアチアの加盟交渉の開始に当たってはオランダのハーグに設置されている旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷から訴追されているクロアチア軍退役将軍アンテ・ゴトヴィナの同法廷への引渡しが条件となっていた。これに対してはクロアチア国内の民族派からの抵抗が大きく当初2005年3月に予定されていた加盟交渉の開始は、この条件が満たされない事を理由に見送られる事になった。同年10月3日から行われたEU緊急外相会議においてトルコ及びクロアチアに対する参加交渉の開始をめぐる議論が行われ翌4日にクロアチアに対しての加盟交渉の開始が決定された。
当初クロアチアの加盟交渉開始の障害となっていたアンテ・ゴトビナは同年12月初頭にスペインのカナリア諸島で身柄を拘束され、ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に移送された。
詳細はクロアチアの地域区分、クロアチアの都市をそれぞれ参照
クロアチアは20地方(?upanije, ?upanija - 単数形)と1直轄市(grad - 単数形)に分かれる。
ドゥブロヴニク地方は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのネウムによって分離され、飛び地となっている。他国を通過せずに移動できるようにするため、ドゥブロヴニク側から伸びるペルジェサク半島とクロアチア本土との間に、長大橋「ペルジェサク橋」の建設が進められている。
クロアチアの鉱業は同国の経済において補助的な役割しか果たしていない。原油(104万トン)と天然ガス(74千ジュール)は同国のエネルギー消費量の数%をまかなうに過ぎない。金属鉱物資源は産出せず、塩などが見られる程度である。
住民は、クロアチア人が89.6%である。その他、セルビア人が4.5%、ボシュニャク人が0.5%などとなっている。クロアチアにおけるクロアチア人の割合はクロアチア紛争以降高くなっており、クロアチア紛争によってクロアチアに在住していたセルビア人の多くが難民としてクロアチア国外に退去したか、あるいは死亡したものと見られている。なお2008年1月に発足した内閣には国内少数派の代表として、セルビア人のスロボダン・ウゼラクが副首相として入閣した。
FXは、クロアチア語が公用語であり、広く使われている(96%)。一部セルビア語を使うものもいる(1%)が、この二つは文字が違う(セルビア語はキリル文字を使用)くらいでほとんど同じ言葉である。
教
宗教は、大部分がローマ・カトリックである(87.8%)。残りは、セルビア正教会が4.4%、イスラム教が1.3%、プロテスタントが0.3%などである。
クロアチアの民俗音楽は、地域によって大きく異なる。北部では旋律やリズムがハンガリーと似ているが、タンブリツァによる伴奏がクロアチア的であるとされ、ヴァイオリン・ツィンバロムといった構成はあまり使われない。また、リズムにハンガリー民謡のようなシンコペーションは見られない。
"Songs & Dances from Croatia"(Zagreb Folk Dance Ensemble / Dr.Ivan Ivan?an - Mentor / EUCD 1500, dinaton & Rc1900, ARC Music Productions Int.Ltd.)
"Folk Music from Croatia"(Tamburaski Sastav "Veritas"(Tambura Ensemble "Veritas") / EUCD 1078, ARC M.P.Int.Ltd.)
クロアチア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が5件、自然遺産が1件ある。詳細はクロアチアの世界遺産を参照されたい。
日付 日本語表記 クロアチア語表記 備考
1月1日 元日 Nova Godina(ノヴァ・ゴディナ)
... 復活祭および復活祭後の月曜日 Uskrs i Uskr?nji ponedjeljak(ウスクルス・イ・ウスクルシニ・ポネディイェルイェヤク) 変動あり
5月1日 メーデー Me?unarodni praznik rada(メジュナロドニー・プラズニク・ラダ)
イースターより60日後 聖体の祝日 Tjelovo (ティイェロヴォー) 移動祝日
6月22日 反ファシスト闘争記念日 Dan antifa?isti?ke borbe(ダン・アンティファシスティチュケ・ボルベ)
6月25日 国家の日 Dan dr?avnosti(ダン・ドルジャヴノスティ)
8月5日 解放の日 Dan pobjede i Dan domovinske zahvalnosti(ダン・ポブイェデ・イ・ダン・ドモヴィンスケ・ザファルノスティ)
8月15日 聖母被昇天の祭日 Velika Gospa(ヴェリカ・ゴースパ)
10月8日 独立記念日 Dan nezavisnosti(ダン・ネザヴィスノスティ)
11月1日 諸聖人の日 Dan svih svetih(ダン・スヴィ・スヴェーティー)
12月25日 クリスマス Bo?i?(ボージチュ)
12月26日 聖ステファノ殉教者の祝日 Sveti Stjepan(スヴェーティー・スティエパン)
数多くのNBA選手を輩出している。代表は独立後の1992年に結成。初めてのオリンピックとなったバルセロナオリンピックでは、マイケル・ジョーダン,マジック・ジョンソンらを擁する初代ドリームチーム相手に決勝戦で敗れたものの初出場で堂々の銀メダル獲得。この2年後の1994年世界選手権でも銅メダルを獲得。バスケットボール欧州選手権(通称『ユーロバスケット』)では、1993年と1995年に銅メダル獲得。
しかし、この後1996年のアトランタオリンピックで7位に終わった後は、長らく低迷が続いた。
2008年の北京オリンピックでアトランタオリンピック以来のオリンピック出場を成し遂げ、再び復調の兆しをみせている。
テニスが盛んで、世界ランク2位を記録したゴラン・イワニセビッチからイワン・リュビチッチ、イボ・カルロビッチ、マリオ・アンチッチ、マリン・チリッチと常に長身のビッグサーバーを輩出するテニス大国である。 2005年には国別対抗戦であるデビスカップでイワン・リュビチッチ、マリオ・アンチッチの2人を中心に見事、世界一に輝いている。