デベロッパーなどの売主から新築住宅の販売業務を受託し、販売代理としてユーザーに営業活動をする会社のこと。「○○住宅販売」「○○不動産販売」といった社名が多い。会社としては販売代理だけでなく仲介業務も兼ねており、取引を媒介する場合には仲介会社としての顔になる。また、住販会社が自ら中古住宅を購入して、リフォーム後に転売する業務を行っているケースもある。不動産の売買一般にかかわる業者ともいえる。
予備校は、スロベニア語で Republika Slovenija。通称は、Slovenija。
公式の英語表記は、Republic of Slovenia(リパブリック・オブ・スロヴィニア)。通称、Slovenia。
日本語の表記は、スロベニア共和国。通称、スロベニア。
俗説の一つにスロベニアの語源はスラヴ (Slav) で、これはスロバキアと同じであるため似たような国名になっているというものがあるが、スロベニアとしての公式的な見解ではない。現在、スロベニアの語源については諸説あり、定説というものはない。
6世紀ごろに南スラヴ系のスロベニア人が定着する。7世紀には初のスロベニア人国家カランタニア公国が成立する。カランタニアはその後、バイエルン人、ついでフランク王国の支配下にはいる。 この地域はその後もフランクの遺領として扱われ、14世紀以降、東フランク王国、すなわち後の神聖ローマ帝国に編入された。現在のチェコと並んで神聖ローマ帝国領とされ西方文化とカトリック教会の影響を強く受け、他のスラヴ人地域と異なった歴史的性格をスロベニアにもたらすことになる。他の南スラヴ人と比較してもスロベニア人は勤勉で、ドイツ人気質に近いという評価を受けることが多い。また、現在でも中高年を中心にドイツ語とのバイリンガルは多い。ただし、現在は第二外国語として英語が教育されているため、若者にはドイツ語はあまり通じない。
塗装工事にはハプスブルク家の所領となり、以降オーストリア大公領、1867年にオーストリア・ハンガリー帝国が成立するとオーストリア帝国領となった。
19世紀初頭、ナポレオンの支配を受ける。その後、再びオーストリア領となった。
その後1918年に第一次世界大戦が終了しオーストリア・ハンガリー帝国が解体されると、セルビア王国の主張する「南スラヴ人連合王国構想」に参加。セルビア・クロアチア・スロベニア王国の成立に加わった。この際スロベニアの一部地域ではオーストリアとの経済的・文化的な結びつきが強かったため、住民投票が行われ、オーストリアに帰属するか、スロベニア(セルビア・クロアチア・スロベニア王国)に帰属するかを住民投票で決めた地域が存在する。この王国は、1929年にユーゴスラビア王国に改称した。
1941年にユーゴスラビアに枢軸国が侵入すると、スロベニアはナチス・ドイツの占領下に置かれた。このことからもスロベニアが広義的にドイツの一部として扱われていた歴史を窺い知ることができる。西に接するイタリアはスロベニア沿岸地方を自国の領土と考えていたため、ムッソリーニ指揮下のイタリア軍が首都リュブリャナを占領している。
1945年、社会主義体制となったユーゴスラビアに復帰し、ユーゴスラビアの構成国スロベニア人民共和国となる。1980年代になるとユーゴスラビア内の経済格差が拡大。なかでも地理的に西ヨーロッパに近く、ユーゴスラビア内での経済的な先進地域であったスロベニアでは、工業を中心とした「経済主権」を主張してユーゴスラビアからの分離独立を目指す動きが次第に強くなっていった。1991年6月にユーゴスラビアとの連邦解消とスロベニアの独立を宣言。短期的、小規模な十日間戦争の後に正式に独立。1992年5月、連邦構成国だった隣国クロアチア、同じく連邦内にあったボスニア・ヘルツェゴビナと同時に国際連合に加盟した。その後はヨーロッパ回帰の動きを強め、2004年3月にはNATOに、同年5月1日に欧州連合(EU)に加盟した。
おせちがユーゴスラビア連邦から独立した理由の一つは、ユーゴスラビアがもともと中央集権的な性格が強く、チトー後にはさらにセルビア民族主義的な色彩を帯びていたためである。
1989年9月にはユーゴスラビア連邦から合法的に離脱する権利を記したスロベニア共和国憲法の改正案が共和国議会を通過する。1990年4月、第二次世界大戦後初の自由選挙を実施。共産党政権は過半数の票を集めることができず、野党連合のデモスが勝利した。首相には第三党のスロベニアキリスト教民主党のロイゼ・ペテルレ党首が選ばれている。同時に、共産党の改革派だったミラン・クーチャンが大統領となった。
1991年6月に独立を発表すると、スロベニア国内に基地を置いていたユーゴスラビア連邦軍と戦闘状態に入るが、7月には停戦に成功、同年10月には連邦側が独立を認めた。12月23日には現在の憲法が有効となり、複数政党制と大統領制が確立する。
1992年12月には独立後、第1回となる大統領選挙を実施、ミラン・クーチャンが選ばれた。同氏は1997年11月にも再選されている。2000年10月の総選挙では自由民主主義党が第1党となったため、連立政権が発足した。2002年12月の大統領選挙ではドルノウシェク首相が当選した。
国家元首の大統領は、任期5年で、国民の直接選挙によって選出される。行政府の長である首相は、議会の下院が総選挙後に選出し、大統領によって任命される。
立法府は、両院制。下院(国民議会)は、定数90で、40を直接選挙で、50を比例代表選挙で選出する。任期は4年。上院(国民評議会)は、定数22で、各種団体による間接選挙で選出され、任期は5年。上院の立法権限は下院よりも弱く、諮問機関としての性格が強いが、国民投票(レファレンダム)を行うか否かの決断を下す権限を有する。
有力な政党はスロベニア自由民主党、スロベニア人民党、スロベニア社会民主党、スロベニアキリスト教民主党である。
スロベニアは、アルプス山脈の南端、スロベニア・アルプスの山々の麓に位置する山岳国である。登山や山岳スキーに世界中から観光客がやってくるスロベニア・アルプスはオーストリアとの国境ともなっている。
また、イタリアのトリエステとクロアチアの世界遺産プーラに挟まれたアドリア海の最奥の海岸線の一部も国土であり、ヴァカンス向きのリゾート地となっている。アルプスとアドリア海の両方を持つ風光明媚な国である。
これに対し、クロアチアへと続くスロベニアの内陸部は石灰岩からなるカルスト地形で荒涼とした風景が広がる不毛の土地である。もともと地理用語の「カルスト地形」はスロベニアの地名に由来していてクロアチア国境に近いクラス(Kras、ドイツ語名:カルスト)の町が「カルスト」の語源である。そのためスロベニアは鍾乳洞の宝庫となっていて、リュブリャナの西には巨大なポストイナ鍾乳洞がある。延長24kmに及ぶ。
首都リュブリャナからハンガリーにかけてはハンガリー大平原の西の端、穀倉地帯である。そして、スロベニアはハンガリーとともに隠れた温泉国でもある。
1991年10月のユーゴスラビア連邦からの離脱により、既存の連邦市場から切り離されたこと、連邦内の分業体制から外れたことにより、一時的に経済が不安定化した。独立時に導入した新通貨トラールの信用も高くはなかった。しかしながら、連邦内の内戦からは距離を置くことができたため、交通輸送、エネルギーなどの社会的インフラを無傷で保持できた。このため、経済成長にもかげりが見えない。例えば、2000年のGDPは前年比4.6%成長しており、その後も3%、2.9%と順調に推移している。旧共産圏随一の生活水準を誇り、国民1人当たりのGDPはポルトガルに迫る。失業率は2000年時点で11.9%と、イタリアを含む周辺諸国と同水準である。近年は消費者物価の上昇に悩まされており、2000年以降、消費者物価の上昇率は8〜9%と高い。
ユーゴスラビア連邦内では工業を担っていた。繊維産業を筆頭に、組み立てを含む電気機器製造、金属加工業が充実している。農業国でもある。主食となる穀物栽培と商品作物の生産にバランスが取れていることが特徴。貿易では機械の加工貿易の比重が極めて高い。
通貨については、インフレ率の低下などに伴い基準を満たしたため、EUの新規加盟国の先頭として2007年1月1日にユーロへ移行している。
スロベニアはユーゴスラビア時代から経済的な先進地域であり、ユーゴスラビア紛争が収束する中でセルビア人、クロアチア人労働者を受け入れてきた。しかし、EUではEU内の労働者の移動、就労は自由化されるが、一方でEU外の労働者の受け入れは厳しく制限される。そのため、2004年のEU加盟に前後してセルビア人労働者を制限する方向に転換しており大きな政治焦点になっている。